BIG Design awardへの挑戦 #01

新たな旅が始まった。

4月16日、(僕にとって)衝撃的なニュースがFBのタイムラインに流れてきた。

クラウドファンディング日本最大級のキャンプファイヤーが子会社を設立し、まさかのファッションコンペを催してくださるという。。

しかも規模が違う。グランプリには賞金500万円、BIGがスポンサーとなりビジネス面での長期バックアップ、そして審査員はまさかのウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、、

かつて僕が毎日夢見ていた学校「アントワープロイヤルアカデミー」の学長であり、ファッション史の一時代を築いた「アントワープシックス」の一人であり、同名の自身のブランドのデザイナーとして長年パリコレクションで作品を発表している人である。

(僕は昔旅の途中でアントワープの入試を受けたがあと1点という意味深な点数で落ち、腹立って職員室に乗り込んでウォルターに直談判しにいった経験あり)

とにかくこんな規模のファッションコンペが日本で開かれたことは今までの歴史でなかっただあろう。

日本で最大の権威であるファッションコンペは「装苑賞」というものだった。

若かりし山本耀司やコシノヒロコやら高田賢三その他大勢はこの賞をとる事がきっかけとなりその名が世間に知られていった。(コムデギャルソン川久保玲氏はファッションコンペ自体に否定的であり、受賞暦はない。審査員を頼まれても全部断っている)

その装苑賞ももう10年以上前から下火になり、毎年コンテストを開催してはいたものの世界的に有名になるようなデザイナーは一人として生まれていない。
最大の権威だったはずの装苑賞は、「装苑賞を取ってしまったら売れない」と揶揄されるほどだった。

200万円だった賞金はしれっと100万になり、山本耀司もしれっと審査員を辞め、ずっと年に3回だった募集期間は年2回になり、ついに今年からは年に一度きりとなり、ああもう完全にやる気なくなったんだなと思っていたところだった。
(昔はほんとにすごい賞だったんですよ。昔は。)
そこに現れたこのBIG design awardの規模感の凄さをわかってほしい。

正直僕はもう、日本のファッションの未来に投資してくれる人など現れるはずがないとさえ思っていた。

そしてなにより、審査員がウォルターだという事。
キャンプファイヤーの家入一真氏がツイッターで見る限りちょくちょく坂部三樹郎氏(MIKIO SAKABEデザイナー、2006年アントワープ主席卒業)に会っているのをツイッターで見ていたためすぐに合点がついたが、おそらく彼のコネでの審査員任命であろう。



井出雄士16歳、高崎工業高校建築科1年の秋。
昼休みに友人の机の上に置いてあった装苑という雑誌をパラパラっとめくると、ある1ページに目が止まった。

「アントワープ王立芸術アカデミー2004卒業コレクション」と題されたそのページには、まるで別の星の人々のような人間の姿が映し出されていた。


その瞬間に僕は「この学校に行く」と心に決め、それから5年以上、家に帰ると必ずアントワープの卒業コレクションのアーカイブを全て見るというのが日課になった。
服が先ではなく、その学校に通いたいというのが最初の想いであった。

その中でも僕は2005年に主席で卒業された「瀬尾英樹」という人の服に心を掴まれた。
彼がアントワープに行く前にアフリカを放浪していたと知り、僕も自決の覚悟で20歳の誕生日に旅に出た。
彼のようになりたかった。

旅の途上でアントワープの受験を受けた(それまでもものすごいドラマがあったわけだが割愛する)
1点足りず、入学できなかった。

だったらもういい。独学で旅しまくって、ぶち抜いた個性で落とした事を後悔させたらい!と発起し、ベルギーから日本まで飛行機使わず帰ったらい!と決め実行した。

その尾道に拠点を構えたわけだが、僕は常日ごろ思っていた。
ぼくはきっと、アントワープに入学できなかった事を一生コンプレックスとしながら生きていくんだろうなと。

あの学校は、本当に、僕の全てだった。
その学長がウォルターが、日本のファッションコンペに審査員長として出る。
あの悔しさを、あの落ちた意味を、裏付けることができるチャンスがやってきた。


言わずもがな、おそらく僕は日本では最もこの賞を「取らねばならぬ」一人である。

賞金もその他バックアップも正直どうでもいいが、
ぼくのあの旅の意味、アントワープに落ちた意味を清算するチャンスなのだと思う。