DAY.07-2 プラハで生地探し、マックスとの再会

2018/07/23
2018/07/23
まるで宝探しだ。

ミュンヘンは中心のエリアにいたし、カルロヴィヴァリもロケトも小さい街だったので、プラハの街の広さに距離感覚が合わない。


とりあえずレセプションのにーちゃんが教えてくれた店を全部回る事に。
せっかくならチェコ産の生地がいいし、質感はスモックに合わないといけない。

部分的なパーツになるので柄物でも総柄じゃないと裁断場所によっておかしな事になる。古い質感であればあるほどいい。となるとなかなか範囲も狭まり難しい。
古道具屋、リサイクルショップ、古着屋、、

なかなか苦戦したプラハだったがかなりいい質感のものが見つかって一安心、勝手に石像を拝借して写真を撮る。

※この生地をクラウドファンディングのスモックのオーダー時の肩パーツの選択肢に加えます。


4時間くらい歩き回っただろうか、その道中でプラハの観光の中心、旧市街を通ったらそれはそれはすごかった。

恐ろしいほどの観光客、そしてその観光客のためだけに作られた店がひしめき合う。

その中を歩く度にすごい勢いで何かエネルギーのようなものを吸い取られる感じがして、身体がどっと疲れて重くなる。

プラハ城まで歩く気も失せ、好きな建築家フランク・ゲーリーの有名な建造物「踊るビル(Dancing house)」を拝んでもう宿に帰る事に。
7年前も当然プラハの観光地化は進んでいたが、これほどになっているとは想像していなかった。

それと同時に、自分がここまで観光地に対する拒絶反応が出るとも想像していなかった。その後歩けなくなるほど鉛のように体が重くなる。


プラハ城は明日の早朝5時ごろにランニングがてら、誰も人がいない時に来ることにしよう。

と、ベンチで休みながらやっとの思いで宿へと戻る。
するとウクライナから飛んでくるドイツ人の友人マックスからプラハに着いたと連絡が来る。

宿で待ち合わせ、久々の再会を喜び合い、夕食を食べにまた街へと歩き出す。
マックスとの出会いは4年前の群馬。

2013年に尾道でデニム生地2反分作った120本の初代いでずぼんを持って群馬に戻り、毎日毎日塩素を調合してはマスキングしたデニム一本ずつに塗り、加工に奮闘してた頃だ。
(その時に作ってたデニム)

ベルギー人の友人から突然メッセージがきて

「カトマンズで面白いやつに会って日本に行くってゆうから群馬のユウジんとこ行けって言っといたからそいつ行くと思うんでよろしく!」

と言われ、ほんまかいななにそれと思っていたら本当に来た。しかもバイクで。それがマックスだった。


マックスはバイクでユーラシア大陸中を旅して回っている。

(マックスのルート)

ちょうど数日前に中央アジアのキルギスから船便でバイクをドイツへ送り、自身もドイツへのフライトを予約しようとしたところ、僕がチェコをうろついているのを知ってわざわざフライトを変更してプラハまで会いに来てくれたのだった。

プラハで一番古いレストランで、チェコの伝統料理を食べながらお互いのその後について延々と話す。

マックス以外にも、SNSか何かで僕がEUをうろついている事を知った多くの友人が連絡をくれる。

これ以上の財産はない。昔の旅の途上で会った遠く離れた友人と、共に時の流れを感じながら歳をとっていけたら本望だ。

もう僕は昔のようなゴリゴリのハードボイルドな旅はできないだろう。

今はSIMカードをさせばどこでもiphoneが使え、宿はネット上にリスト化され、圏外であろうがマップのアプリで現在地を確認できる。

1つのミスで、言葉も通じず文字も読めず自分がどこにいるのかもわからないというあの背筋が凍るような絶望的な状況に陥るリスクも、そしてその状況から「なんとかする」という経験も同時に失われつつある。

(いつか「電子機器を持たずに旅をする」とかが流行るのだろう)

旅のスタイルは日々変われど、その道中で会った友人との関係性を育んでくれるSNSというツールには感謝している。日本の友人達も含めて。

マックスの6ヶ月の旅はここプラハで終わり、僕の1ヶ月の旅はまだ始まったばかりだ。この度でまた、新たな出会いがあるのだろう。

すっかりと観光客にのみこまれたプラハの旧市街を歩くあらゆる人種の人々を2人でぼんやりと眺めながら、夜中までビールを飲み続けた。

///

井出雄士
Instagram/@maruigeta

クラクフ行きのバス内にて